衛星設計コンテストについて

衛星設計コンテスト実行委員会 会長就任のご挨拶

衛星設計コンテスト実行委員会会長 中須賀 真一

1990年代初頭、欧米ですでに「大学衛星」のプロジェクトが複数の大学で始まり、政府のロケットの隅に「ピギーバック」の方式で載せられた小型衛星の打ち上げがすでに始まっていた。日本では衛星は宇宙機関や大企業が作るものだとの認識がほとんどで、要素技術の研究はあっても衛星自体を大学で作って打ち上げようというプロジェクトはなかった。この遅れは問題だと考えられた九大の八坂先生、NALの中島さんからのお声がけもあり、日本機械学会、電子情報通信学会、日本航空宇宙学会の3学会の主催による衛星設計コンテストが始まったのが1993年であり、私もその立ち上げメンバの一人として、会場探しからプログラム作り、懇親会の買い出しなどに走り回ったことが懐かしく思い出される。当初より小型衛星を想定していたので、設計の部での衛星の質量制約は50㎏であった。

衛星設計コンテストは、衛星の開発・打ち上げをまだやっていない大学教員や学生にとっては、ミッションのアイデア創出やそのミッションを設計に落とし込んでいく重要な作業の格好の鍛錬の場であった。特に、設計大賞やアイデア大賞という冠が付くとあって、絶対に勝ちたいという強い思いで学生は取り組んでいたと思う。特に東北大、東京工業大、東京大の三大学がライバル心むき出しにしのぎを削っており、1993年から2004年までの12年間(大賞の数は24)で、東工大が大賞を7回、東北大が6回、東大が5回受賞し、毎回どこが勝ったかという話題を教員も学生もしていたと記憶している。この3大学がその後どうなったか―日本における初期の大学衛星開発で大きな貢献を果たしたことは皆さんもご存じだと思う。まさに、この衛星設計コンテストで鍛えられた学生たちが、一気に欧米を追い抜いて、2003年、世界初の1㎏CubeSat衛星の開発・打ち上げ・運用に成功し、日本の、いや世界における超小型衛星の歴史を拓いたのである。

その設計コンテストの立ち上げから、すでに30年以上が経過した。小型・超小型衛星は世界の宇宙開発利用の中核のツールとなり、世界中で地球観測、通信、宇宙科学探査、エンターテインメント、教育にと利用され、小型コンステレーションなどのビジネスにつながり、日本も含め、多くのスタートアップが生まれた。日本におけるそのきっかけを作ったのが衛星設計コンテストであることは間違いないことであり、その歴史的な意義は極めて大きかったと言える。一方、現状はというと、大学自らが衛星開発・打ち上げまでができる時代になった今、多くの大学が衛星設計コンテストに強いモチベーションをもって参加する状況ではなくなってきたのも、時代の流れであろう。

では、衛星設計コンテストは次にどんな役割を持つべきであろうか? 高校生への広がりは非常に重要である。高校時代にしっかりと衛星設計やミッション創生の鍛錬を受け、大学では実際の衛星開発に携わるという流れは非常に有用であろう。では、大学学生への貢献はなんだろうか?

その答えを私はまだ持たない。今回、この歴史あるコンテストの実行委員会会長を仰せつかり、この分野の技術動向、ビジネスなどの利用の展開、日本のNew Spaceで現在、深刻な課題である人材育成の必要性などを広く勘案しながら、皆さんと答えを探っていこうと考えている。このコンテストが、初期のころに果たしたような大きな貢献を再び果たせるよう、アイデアを出して頑張る所存なので、皆さんのご協力を心よりお願いする次第である。

令和7年1月29日
衛星設計コンテスト実行委員会会長 中須賀 真一

東京大学大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻航空宇宙システム学講座 教授
中須賀 真一
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/people000178.html

コンテスト概要

衛星設計コンテストは高校生から大学院生までの学生を対象にした、コンテスト形式の教育プログラムです。
参加者は、小型衛星をはじめとする様々な宇宙ミッションを創出し、その設計を行います。審査員は、着想点、創意工夫、基礎的な技術知識、将来性、等の様々な観点からすぐれた作品を選考(第1次選考)します。審査員は、すべての作品に対して、学生の皆さんの意欲継続・将来へのステップアップに向けたアドバイスを行い、再挑戦も期待しています。

1993年(平成5年)に第1回大会を開催して以来、毎年行われています。第1回大会で電子情報通信学会賞を受賞した千葉工業大学の作品、鯨生態観測衛星「観太くん」は2002年に打上げられました。